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もりおか映画祭2010概要

シンポジウム「フィルムとコミットする映画フィールド・盛岡」

 このページでは、もりおか映画祭2010の関連イベントして開催されたシンポジウム「フィルムとコミットする映画フィールド・盛岡」の模様を一部抜粋して掲載しています。



開催概要

名称 シンポジウム「フィルムとコミットする映画フィールド・盛岡」
日時 10月23日(土)開場 18時00分 開演18時30分
会場 大通会館リリオ 3階イベントホール
コーディネーター 寺脇 研(映画評論家)
ゲスト 明石知幸(映画監督)
近衛はな(女優、脚本家)
大友啓史(NHKディレクター)
司会 井川亜紀(フリーアナウンサー)
制作著作 めんこいエンタープライズ
もりおか映画祭2010


司会: 本日はもりおか映画祭2010にお越し頂きまして誠にありがとうございます。只今からもりおか映画祭2010シンポジウム「フィルムとコミットする映画フィールド・盛岡」を開催します。映画に恋する街もりおかは、映画や映像コンテンツと新しい関係を結ぶにはどんな方法があるのか、フィルムコミッションを軸とした地域づくり街づくりをテーマに、盛岡に限らず岩手県内や全国の事例を紹介しながら進行してまいります。それでは本日のコーディネーターを紹介します。京都造形芸術大学教授、ジャパンフィルムコミッション理事長で映画評論家、そしてもりおか映画際の顧問でもあります寺脇研さんです。どうぞ大きな拍手でお迎え下さい。続きまして本日のゲストの皆様を紹介いたします。高橋克彦原作映画『オボエテイル』を盛岡市内でロケをした映画監督の明石知幸さん。女優で脚本家としてもご活躍の近衛はなさん。そして最後に映画『ハゲタカ』を監督し、現在NHKのディレクターとして『龍馬伝』の演出を手がけております大友啓史さんです。どうぞ拍手を持ってお迎え下さい。皆さま宜しくお願い致します。 それではここからの進行はコーディネーターの寺脇研さんにお願い致します。宜しくお願いします。

寺脇: みなさん、こんばんは。昨日は、開会式ですごく盛り上がったというふうに聞いておりますが、今晩も負けないように皆さんの前で、良いお話をこのお三方から承れればと思って司会役を引き受けさせて頂きます。
 私の盛岡との関わりは、とにかく何度も来ていますが、もりおか映画祭、とても素晴らしい映画祭なので、毎年お手伝いをさせて頂いているご縁で今日司会をさせて頂いております。また今日、ジャパンフィルムコミッションのお話からこれから出てくると思いますが、フィルムコミッション活動というのは、映画やドラマを作るときに地元でサポートしていこうじゃないかというところから始まって、逆にそのドラマや映画を使って、その地元を元気に、地元を極端に言えば世界に知ってもらおうという活動まで広げて行こうじゃないかという組織で、日本では12,3年前に活動が始まったのですが、僅か10年ちょっとの間に物凄い広がりをみせて、今は全国でも百何十という組織ができて動いています。そういうことも含めて皆様方もフィルムコミッションという仕事をなさりつつ作品を作ってきたということもあろうと思います。
 今日のメインのお三方、私がきっかけを渡しますので、みなさん、盛岡、または岩手県との関わりというお話をまずご紹介がてらして頂くというところから始めさせて頂きます。
 まず私の手前にいらっしゃいます明石さんは、日活という映画会社でずっと映画作りをされていて、私も日活映画のファンですので、色んなところで明石さんとお目にかかる機会がありますけれども、今日は盛岡との関わりということでお話をして頂きたいと思います。

明石:はじめまして、明石と申します。盛岡の関わりと言いますと、大友さんは龍馬ですけれども、僕の場合、競馬がきっかけでして、以前、森田芳光さんという監督さんと一緒に、ですね、週刊新潮の連載で山口瞳さんの「草競馬流浪紀」をもう一度原点で辿りなおそうということで、全国の競馬場を巡ってそれを連載していました。岩手は水沢・盛岡という競馬場がありますので、お邪魔させて頂いた時に、旧盛岡競馬場、今のオーロパークじゃなくて、縦に細長い独特の競馬場でした。その時に森田さんと一緒に来させて頂きました。それで競馬は競馬として、二人で地方へ行った場合は、夜のクラブ活動というのも大事なものなので、それで「今回もクラブ活動をしよう」ということで、じゃどこで情報を集めるかとなった時に、映画館通りにローソンがありますよね、あそこに夕方6時30分頃から二人で身を潜めまして、お店から出てくる手にピーナッツとか裂きイカとか乾き物持った女性を観察してまして、「あっ、この女性だ」って言う女の子の後を付けて行って、それでその子が入る飲み屋さんを覚えておいて、九時とか十時位から繰り出すということをしていたわけですが、色々そこのクラブの女性と話していて、昼間はダスキンで働いていて夜はクラブで働いているというのを聞いて、盛岡の女性は働き者だな〜と感心した覚えがあって、それをきっかけになってできたのが「ハル」という映画だったのですが、皆さん、あの映画ができた時になぜ盛岡だっていう全ての方が釈然としなかったと思うのですが、全てはそういうきっかけだったということです。
それで映画の方で岩手に関して書かれているのは、一番最初にロケでお邪魔させて頂いたのは一関でした。その時に一関にあるベイシーというジャズクラブがありますけれども、あそこにロケハンに行った時に、カウンターにやけに背中のでかいビリ犬頭をした爺さんが座っていて、なんか見たことあるような方がいて、その方が阿佐田哲也さんだったんですよ。阿佐田さんが東京じゃ雑事が多くて小説が書けないという事で、一関に引っ込んで本格的に小説を書こうという時だったんですが、その時に「映画のロケーションに行きますので、出演して下さいね」とお約束した二週間後にお亡くなりなったんです。そこで岩手との関わりができたんですけれども、長くなったのでまた後でお話します。

寺脇:ロケの話のところで、森田さんというのは「ハル」を作った今でも大活躍の森田芳光さん。暮れに今年のお正月映画「武士の家計簿」という時代劇の最新作が公開される森田芳光監督。この森田組の助監督を明石さんがなさっていた時代。森田組のクラブ活動のあり方がよく分りました。クラブ活動たってバトミントンクラブじゃないんですからね。
 そして本日近衛はなさんにおいで頂いてるんですが、女優であり脚本家であり、実はもう私なんかの年代ですと、むしろ近衛さんのご両親の方が出演していた映画やドラマを一生懸命観ていた方なんですが、その近衛さんと盛岡のつながりの話を聞かせてもらえますか。

近衛:みなさん、こんばんは。近衛はなです。今ご紹介頂いたんですが、私は東京生まれ東京育ちでずっと東京に住んでいて、岩手とのつながりは本当に不思議な縁だったんですけれども、私自身は宮澤賢治とか柳田國男が昔から好きで、学生時代も岩手に旅をしたりしていました。花巻とか遠野に行って、すごく好きだったので岩手は私の中ですごく大事な場所だったんですけれども、私は今希望郷いわての文化大使を仰せ付かっておりまして、何でそんなことになったかと言うと、これも本当に不思議な縁で、私のお世話になっている一緒に仕事をしている社長が岩手出身なんですね。陸前高田の出身なんですけど、本当にふるさとのことを語りだすと涙が出るといいますか、情熱的な人で、私はふるさとがなかったので、「ああ、ふるさとを持つというのは、こういうことなのか」という事を社長と話していて考えたんです。それでやっぱり陸前高田の方でもどんどんシャッターが閉まって行って地方が過疎化しているという話を聞いたりして、色んなところに行って色んなものを見ると、本当にそういう状況があるんだなと感じました。それで岩手をなんとか元気にするお手伝いができたらいいなというふうに思って岩手のご縁を頂いて文化大使になっています。
 脚本家というふうに紹介頂いたんでが、実はまだなりたてホヤホヤでこちらにいらっしゃる大友監督が去年撮られた「白洲次郎」というドラマで初めてデビューさせて頂きました。そんなつながりでお世話になっています。

寺脇:ありがとうございます。白洲次郎のドラマ、ご覧になった方も多いと思いますが、今日はそのドラマの監督と脚本家が座っているわけで、大友さんは言うまでもなく今や盛岡が産んだ大演出家ということで皆さんもいつも大友さんの作品には注目していると思うんで、今さらつながりって話もないかも知れませんけど、何か一言お願い致します。

大友:盛岡で育ちました。盛岡はふるさとなんですね。だから40越えると不思議なものでふるさとが凄く大事になってくるんですね。今放送されています『龍馬伝』の方で福山雅治さんが出演して頂くきっかけも、岩手は関係ないんですが、実は彼の出身は長崎ですから、龍馬をやるということは当然長崎が舞台になるので、彼としてはやはりふるさとへ恩返ししたいという気持ちがあってですね、その辺が決定打になったのかなと思うんですよね。作り手である僕らにとってもルーツであるというか、どこから生まれて来てどこに行こうとしているのかって、ちょうど40歳位になると意識せざるをえなくなるようなところもございまして、なんとなく時々じゃじゃ麺が食べたくなったり、ソウルフードってあるなと感じることもあり、盛岡は、『龍馬伝』なんかでもロケで来てますし、生まれも盛岡、育ちも盛岡ですし・・・・ まとまらなくてすみません。

寺脇:ありがとうございます。そういうことでね、去年も映画祭にお越し頂きましたし、ふるさとを出る時は、ここにいるんじゃダメってことはないけれど、大きいところに出て行こうと思って、お出になったと思うんですけれども、仕事していく中でふるさとを意識されてこうやってもりおか映画祭の常連と言っていい形で来て頂いています。
 さて、これからは、皆様が映画、テレビ、ドラマを作っていく中で、地域とのつながりということを今日は話していきたいと思いますが、まずは、ここは盛岡ということで、岩手とのつながりという中で、さっきはクラブの話しか聞けなかったのですが、『ハル』という映画はもちろん岩手のロケをしているわけですが、明石さんの場合はもうご自身がその後、監督になられて、明日12時30分から上映があります『オボエテイル』。是非観て頂きたい。さっきちょっと伺ったら、来年の一月に全国公開。まずは東京で公開されて次に全国に公開されます。『オボエテイル』という映画は今から5年前の作品ですけど、ロケなさったのはもうちょっと前ですか。

明石:やっぱり5年前ですね。

寺脇:その時に監督として盛岡ロケをしたという時の話をしていただけませんか。

明石:きっかけは、プロデューサーもやってくださったヤスイさんが高橋(注1:高橋克彦/盛岡在住の直木賞作家。映画「オボエテイル」の原作者)さんと以前から交流がありまして、それで声をかけかれて「何かやりましょう」と言われた時に、「高橋さんの記憶シリーズをやりたい」ということで、希望を出しまして当時三本のオムニバスということで、高橋さんの記憶シリーズから三本選ばせて頂いてやったんですけれども、先ほどのクラブ活動とは離れて念願の盛岡ロケでしたので、すごく嬉しくて、実際監督したのは一本ですが、後の二本のメイキングを撮りに、他の二本のロケハンも行い、タイトルバックの絵も撮り・・・

寺脇:監督としては3本オムニバスの中身1本だけれども、後の2本もプロデューサーというかロケーションプロデューサーみたいな感じだったんですね。

明石:そうですね。ロケーションから全部関わらせて頂きまして・・・

寺脇:3本の作品に全部関わってらっしゃる。

明石:そうですね。念願の作品でしたので、そういう関わり方をしたいなと思っていました。

寺脇:どこでロケをやるかというのもだいたい明石さんが仕切って、この場面はここだぞというような・・・

明石:いや、まだそこまで詳しくなかったものですから、それはこちらのフィルムコミッションの方の力をお借りしましてやったんですが、話が話しですので、結構陰惨な話があるのでその辺が苦労しました。

寺脇:苦労というのは、陰惨な話だから頼み難いとかそういったことですか。

明石:そうですね。頼んで正直に話の内容を伝えますと、断られるケースが多く苦労しました。しかしやはり高橋さんの作品ですので、好意的にしてくださる方が多かったのが盛岡でやった一番のメリットです。

寺脇:私達フィルムコミッション活動していてもそうなんですけどね、フィルムコミッションというのは中間役ですよね。フィルムコミッションが家を持っているわけではないですから、家を持っている人に「使わせてくれませんか」と仲介をするんですね。実はフィルムコミッションには厳しいルールがございまして、どんなものでも仲介しなければならないんです。盛岡フィルムコミッションが「盛岡が最低の街だ」という映画が作られたとしても仲介はしなきゃいけないんです。仲介はやる。これはもうフィルムコミッションのルール。但し仲介された人は、「盛岡は最低の街だというなら俺の家を貸さないよ」ということは言えるわけだし、「おっかない話にうちの家が舞台になるなんて」という人は断ったりするということは、もちろんご本人の家ですから、あるいは「お庭を見せて」と言ったって同じことなので、そういう意味でのご苦労があったんでしょうけど、逆に言うと最低のというのは例えとして言ったんですが「盛岡で作家活動されている高橋さんの名作を映画化するんですよ」という話になったら、「それなら貸しましょうか」と逆にサービスして下さったんじゃないですか。

明石:そうですね。高橋さんの作品をきちんと読んでらっしゃる方は、その辺を理解して頂いて好意的にご協力して頂きました。

寺脇:高橋ファンの所では優遇された。

明石:それはもう充分に恩恵を受けました。

寺脇:映画と言うのは、ご存知ない方もいると思いますが、ロケーションやるとなるとかなり迷惑かけますよね。

明石:その辺は、一番迷惑をかけているだろうと思う大友さんに。

寺脇:もともとある物をちょっとどかしたりね。綺麗な家をちょっと汚したり、撮影の為に古びたように汚したりもしますよね。

明石:ほとんど人非人ですよね。現場だけ取り上げてみると。それでも地元の皆さんのご好意がないと成立しないので。さっき伺ったんですけど5年間盛岡で映画の撮影をしていないと聞いたんで、また是非やりたいんですが、今進めている企画がありまして、ラストシーンが盛岡なんです。

寺脇:その企画が成立すれば・・・

明石:そうなんです。その時はまたお邪魔させて頂きたいな思っています。

寺脇:もう盛岡確定ですから。クランクインすることをみんな待っていればいいわけですね。

明石:最近クランクインが遠のいているんで。

寺脇:明石さん自身も『オボエテイル』の後は・・・

明石:二本位撮ったんですけど、そんなに大きなものじゃないので、寂しい思いをしていますので。

寺脇:じゃ、是非、その盛岡がラストシーンの、どんなラストシーンか分りませんが、『オボエテイル』を明日観た時に、ひょっとすると皆さんが知っている家が出てきたりするかも知れない。その時大変だったろうと思いながら観て頂くと、映画のロケが来るというのはこういうことか、地元が協力するというのはこういうことかと感じるのではないかと思います。
 近衛さんは、盛岡、岩手県内で、映画やテレビの仕事でロケーションをなさったことはあるんですか。

近衛:はい。盛岡はないんですが、盛岡は駅だけですね。遠野はロケに行きましたね。遠野の市役所の方達って本当に熱心なんですよね。今年は遠野物語100周年で遠野が盛り上がっているというのもあるんですけど、本当に心の行き届いたおもてなしをして下さって、今、私は脚本の方で「続・遠野物語」というNHK盛岡放送局が制作するドラマの脚本を書かせて頂いたんですね。
(紹介VTRが会場に流れる)
こんな感じで今作らせて頂いてるんですけど、遠野と言ってもなかなかロケ地は分らなかったですが、本当に地元の方が、宮司さんであったり色々な方が、パワースポットを案内して下さって、なかなか外から行った人には分らないような実に遠野らしい風景というのを紹介してもらいました。

寺脇:今市役所の方が一生懸命やって下さった。フィルムコミッション活動というのは、地元の行政、お役人というのは昔から評判がよくなかったですけれども、本当にふるさと愛してふるさとのためにと、この盛岡市役所もそういう方がいらっしゃいまして、もりおか映画祭も動いているわけですが、地域のために地方分権の時代と言いますけれども、遠野市の職員として遠野市をよく知ってもらおう、そして遠野の人に元気になってもらおうというそういうことが伝わってくるということですよね。

近衛:ほんとにまさにそうなんですよね。そしてそれが実にさりげないんです。なんて言うかすごくやりやすかったんです。遠野でロケをさせて頂いても。すごく上手なんですよね、遠野の方達って。

寺脇:この「続・遠野物語」のロケには近衛さんは立ち会っていらっしゃらないんですか。

近衛:いえ、2、3日行きました。ロケ地に。ふるさと村とかで撮影があって。そう言えば『龍馬伝』も撮っていましたよね。その時に、また別なお仕事で遠野に行った時に、ちょうど大友さんが『龍馬伝』を撮っていらっしゃいまして、遠野の町でバッタリ大友さんにお会いしたことがありました。

寺脇:『龍馬伝』のどのシーンを撮っていたんですか。

大友:一回目の土佐パート。よりによって秋の遠野で土佐の夏を撮るというややこしいことになってしまったんですよね。盛岡は、大河ドラマで『秀吉』の頃から助監督でお世話になっていますので、ノウハウがあるんですよね。やはり大河もそうですし、町のフィルムコミッションの方々は古い方が多い。だからノウハウが積み重ねられている感じがある。それでものすごくやりやすいので、毎年大河の方では、そういうシーンがあれば、お邪魔させて頂くという感じになっていまして、本当はあれですね。先ほど言われてドキドキしましたけれど、人非人みたいなことやってきたなあ〜っていう事を感じますね。例えば、エキストラも地元の方にお願いするということを市の方を通して地元の方々を集めて頂いてやるんですね。それで思い出した。『秀吉『の時はですね、合戦シーンの鎧を着て突っ込めと下の足軽たちをエキストラに演じてもらったんですよね。それで大河ドラマに出られるということで、かなり年齢に幅のある人達が集まりまして、朝4時から3時間位で準備して頂いて散々待ってですね、待つのも仕事とは言え、一般の方々はそうじゃないですから、さんざん待たせた上、合戦のシーンですよ。「よーい、スタート」で「走れ〜〜」って坂道を走りますよね、永遠と、思いっきり。そして草履を履いて。そして「カット!もう一回」と5〜6回やっただけでヘロヘロになるんですよ。で「カット」と言った瞬間に、エキストラの皆さんがだんだんこっち、監督の方を見るんですよ。OKが出るかどうか、うわっと見るようになって、そんな中忘れられないんですが、70近い年配の方が出られていてもうヘロヘロで一生懸命やっているんですよ。本当に申し訳ない。でも「本気で走ってくれないと終わりませんよ」って酷いことこっちは言うんですよ。おじいちゃんが多分お孫さんに大河に出たということを言いたくて参加して、朝3時、4時に起こされて日が暮れるまで走らせられて、最後に7回か8回目にようやく「カット」と。みんなで全員を見たら、僕はそのおじいちゃんに注目していたんですが、「OK」と言った瞬間に笑って鼻水をずるっと垂らされたのが、今記憶として蘇ってきました。あのおじいちゃんに悪いことしたなあ。

寺脇:そりゃね、明石さんも大友さんも演出家と言うのは、良い作品を作るためには人非人にならなきゃいけない。

大友:酷い仕事みたい。

寺脇:そこで情をかけてると映像に跳ね返ってくるからね。逆に言うとそのおじいちゃんも作品を作ることに参加しているんです。ただそこに傍観者としているのとでは意味が違う。今大友さんがすごく大事なことを言ったんですが、地元との息が合うこと。人間息に感じる、とか意気が合うと言いますけど、何だか分からない人達が来て「ああやってくれ、こうやってくれ」というのと、もう二度と来ないよというのとですね、しょっちゅう、遠野にあるいは盛岡に来て下さるというのは、違うんだろうなと思います。

大友:だから手間隙をあれしてでもロケ体制がちゃんとしているかどうかで、遠野を土佐にするということは観葉植物とか色々持って行かなければならないんですよね。遠野をわざわざ土佐の植生にしなければいけない、遠野の秋の紅葉になってきている部分を隠さなければならないとか、色々大変なんですが、そういう手間隙を省いてもやはり遠野とか水沢江刺に来た方が受け入れ体制がしっかりしていてノウハウも知っていてありがたいと思いますね。

寺脇:『龍馬伝』の一回目というのは、私は、なかなかその時間帯、家にいないので観る機会がないんですが、あの時はちょうど家にいたので大友さんが演出されるというのでじっくり観ることができたんですよ。「いや〜、これ土佐だな〜、凄いな〜」と遠野だとは夢にも思わず観ていました。私も素人ではないので、土佐ではなくどこかでやっているんだろうとは思っては観ていたんですが、まさか遠野だとは思わなかった。先ほど大友さんが植生ということおっしゃったんですが、実は日本のフィルムコミッションがずっと悔しいから頑張ろうと思ってやっていることの一つに、『ラストサムライ』という映画がありますよね。ハリウッドの。あれご覧になった方多いと思いますけど、あれは日本でロケしてもらえなくてニュージーランドでロケしたんですね。ニュージーランドに京都とか江戸とか薩摩ができちゃってやっているんですね。そうすると明らかに日本には生えてないような木が、よく観ると映っているんですよ。セットもちょっとおかしいけど、それ以前に自然が全然違うんですよね。それがね、あれをもし日本で撮ってくれていたら、『龍馬伝』の時代やこの前近衛さんが主演なさった『獄に咲く花』とかね、ああいう時代の日本ですよ。『龍馬伝』では工夫をなさって遠野を土佐に仕上げるというのは、監督あるいはスタッフの仕事でしょうけど、あれもまた土佐の街を歩いていた方々は、遠野の方だったんですね。

大友:そうなんです。皆さん、顔を黒く塗って日焼けをさせてやりましたね。

寺脇:香川さんに突き飛ばされたり、突き飛ばしたり。

大友:ほんと、酷い目に遭っていると思います。すみません。

寺脇:そういう話を聞いていると、『オボエテイル』は映っているのが盛岡だぞと思って観ているわけですが、『龍馬伝』の場合は、あるいは『白洲次郎』の場合もそうかも知れない。映っているその世界は別のところなんだけど、ここは遠野なんだよと思えると親しみも湧いてくると思うんですね。近衛さん、遠野では、この建物に行ってみたいと思うような建物がありますよね。

近衛:あります。沢山あります。曲り屋なんて素晴らしいですよね。他にもあります。

寺脇:だから、これを観て「ああ、あそこに旅行に行きたい」「訪ねたいな」と思って欲しいというのがフィルムコミッションの願いでもあります。脚本家として遠野と関わる時に、全く知らない街を舞台にするのと、ご自身がよく親しんでいる遠野の街を舞台にして書くというのは、やはりシナリオを書く時の気持ちが変わってきますか。

近衛:ええ、もう。それはもちろんです。あまりに頻繁に遠野に行っていたため、このNHKのドラマを書くためにあえてロケハンに行かなかったくらいです、第一稿を出すまで。そして第一稿を出してから細かいところが気になって旅をしたりしたんですけど、その前に何度も何度も遠野に行かせて頂いていたので。

寺脇:頭の中にもう遠野の景色が浮かびつつ書いていたわけですね。

近衛:そうですね。

寺脇:この作品はいつ頃放送になるんですか。

近衛:東北6県は12月10日放送です。

寺脇:じゃ年内に、ですね。

近衛:夜8時の放送になります。

寺脇:夜8時だったら『龍馬伝』と同じ時間帯。同じ日じゃないでしょうけど、同じ時間帯、ゴールデンタイムですね。(注2:NHK総合東北6県12月10日19:55〜20:43、全国放送12月21日22:00〜22:48予定)

近衛:はい。それで全国放送は、年内か年明けに放送される予定です。

寺脇:それは楽しみですね。今日、午前中に映画の『遠野物語』の上映があったわけですが、私も大学の先生をし、映画評論家もしているから、ちょっともっともらしいことを言わせて頂ければ、今、柳田國男というのは100周年というのもあるけれど、時代的にすごく重要なんですよね。これは私だけではなく社会学者の宮台真司さんなんかが「今、柳田の時代だ」って言っていますよ。近代と言うそれこそ『龍馬伝』や吉田松陰の頃に始まった日本近代の夜明けだってやっていくわけですよね。その近代がずっとやってきて大友さんの「ハゲタカ」の世界になっていくわけですよ、段々。近代が行き着くところは、グローバルな社会金融みたいなことになっちゃう。えらいところまで来ちゃったなと。来るところまで来ちゃったけれども、ここからもう一回人間の心を取り戻して行く時に、どこに行くんだろうという時に、柳田國男を再発見しようというのが、あの大きな時代の中で柳田が考えたこと。柳田國男の時代というのは一応近代ですから、それで妖怪だ、何とかだって言ったって「えー、そんなの非科学的」という見方で見られた部分もないわけじゃなかったでしょう。だけど今や逆に科学の行き着くところが、やり過ぎちゃったんだったら、こういうところもう少し森に宿るものとか、山に宿るものとか考えていくという意味ではタイムリーな企画だと思いますよね。そういう意味で『オボエテイル』もそういうところありますよね。

明石:そうですよね、高橋さんの原作を離れて、盛岡っていたるところに物の怪を感じるんですよね。例えば、『オボエテイル』の中で、香川君の少年時代の高校時代のアパートのシーンでロケーションやったんですけど、そこに半地下みたいな駐車場があって、今はもうその建物は無くなってしまったようですが、それがどういうふうになっているか見てみようと降りた時に、中に入った途端に背中にゾッと寒気を感じたんですよね。僕はそんなに霊感がある方じゃないんですが、後で聞いたらそこは南部藩の刑場の跡だったというようなこととか。あとは、そこはもう閉校になったんですが県立大学(注3:旧岩手県立短期大学)という建物はないんですかね、そこで日中の撮影が終って夕食の時間になった時に、校門に出て次の夜のシーンのことを考えていたら、出番の終った盛岡在住の女優さんがちょうど帰るところで、バッタリ会った時に、建物の五階の隅っこの方を指差して「監督、あれ見えません?」て言うですよ。それで「何がですか?」って言ったら、「窓際に女の子が立っているじゃない」と言うんで「そんなの見えないじゃない」と言ったら、「立っているわよ」って。それで後で聞いたら、そこで自殺があったって話を聞いて、嫌な予感がして現場の方でご飯を食べようかなと思って席に着いたら「ごめんなさい、監督。お弁当が足りなくて」って、嫌な予感ってこういうことだったんだな。なんてそんな冗談だけじゃなくて、いたるところに物の怪を感じる場所がありますよね。やっぱり魅力的というのかどうなのか分らないですけど、なんかちょっとそそられる感じはあります。

寺脇:そうですよね、それはありますよね。近衛さん、どうですか。遠野も行くと何かそこに霊は感じなくても何か人間の歴史の重さみたいなものを感じますか。

近衛:遠野は特別です。そういう意味で、物凄くあります。そういうことが、私もありますけど、みなさん色んな方が言っていますね。色んなところに色んなものが出る。ほんとなんですよ、これ。地元の方なんて普通に「座敷わらしを見た」とか、普通の日常会話でそういう話をするんですよ。ほんとに冗談みたいなんですけど、冗談じゃなくて、いるんです。はい。

寺脇:遠野の座敷わらしは有名ですよね。本当にいるんですね。

近衛:はい。いるんです。

寺脇:だからね、それはね、科学的には存在しないかも知れない。だけど、人間って物理的なものと心の中のものっていうのはあるんですよね。だから今、脳科学の世界ではそれはありだという人達も出てきていますよね。

近衛:そうですね。

寺脇:座敷わらしとどこかで近衛さんもお会いになったとか。

近衛:私は座敷わらしには会ってないんですけど、会いましたね、やっぱり。夜、遠野の闇は深くて暗いんです、闇の色が。私なんて東京に住んでいるので違いますね、それでその中で気配っていうのが凄くて。やはり遠野物語の里なので、そういう物語をどなたに伺ってもお話をしてくださるんですけど・・・。具体的には恐すぎてお話をするのもなんなんですけど・・・。先日、妖怪セミナーというのが遠野であって、それに行ってきたんですけど、本当にいるんです。

寺脇:人に悪いことするわけじゃないんだから、本当は世界中から見に来て欲しいですよね。体験しに来て欲しいですよね。世界には怖い物はなくて俺が一番偉いんだぞ。ボタン一つ押せば世界のどの国だってやっつけられると思っている人がいますから、そういう人に来てもらうと、アメリカの前の大統領なんかに来てもらうと、世の中にはもっと恐いものっていうか、力では抑えつけられないものがあるんだと分るといいですよね。遠野に来ると、金や力で解決するわけじゃないと思っちゃう。
 そういう意味でお三方とも盛岡で色々おやりになっているわけですけれども、今度は地元の方々からすれば、盛岡、遠野の話はよく知っているけれど、じゃよそのところでロケをすると、こっちとは違うところ、お三方は外国も含めて色んなところでロケをやっているわけですが、よそではこんなことがあったよというような話もちょっとお聞かせ願えればと思うので、明石さんは岩手県以外ではどういうところのご経験がおありになりますか。

明石:最近、ロケハンで終るケースが多いですから。それで話が終っちゃいけないですね。

寺脇:逆にロケハンに行く時、もちろん映画というのは大きな仕事ですから、ただ行き当たりバッタリぶらり旅って感じにここで降り、ここで撮ろうというわけにもいかないので、そのロケハンというものについて、みなさんに教えていただければと思います。

明石:5,6年前位から全国フィルムコミッションの活動が盛んになってきまして、企画した段階でどういった物が欲しい、どういったロケーションが欲しいかということを全国のフィルムコミッションの方に情報提供するんですね。そうすると、沢山の候補になるような場所の写真や資料が送られてきて、その中から距離的なものもありますし、予算的なものありますし、こちら側でセレクトして3、4箇所位選んで出かけて行くんです。とにかくその僕が行ったのは瀬戸内海方面だったんですが、神戸だとか愛媛だとか広島の呉とかの人達はすごく熱心ですよね。実際にやはり海と山がありますし、すごく風光明媚なので実際にロケーションも日本映画の中では多いですよね。
もうちょっと後の話題になるかも知れませんけれども、どうしても盛岡なんかで『オボエテイル』の時は高橋さんの原作でしたが、瀬戸内海のフィルムコミッションに比べて、その辺の熱意というのに違いがあるのかなって思いました。

寺脇:熱意がないというわけではないと思うんですが、今明石さんが言ったのは、各フィルムコミッションがデータベースを作ってるわけですよ。例えば、上映中の『悪人』という映画のラストシーンで灯台を撮るとなると、灯台で周りに何にもなくて、と条件を付けるわけですよね。岩山みたいなところにある灯台で、大きさはこれくらいでというような条件を付けるわけです。すると全国のフィルムコミッションから「うちの近くにこんな灯台がありますよ」という情報が写真付きで来るわけです。私が今日ちょうど頂いたこの「あなたが撮った盛岡フォトコレクション」という写真集。市民の方々がこの時のこの風景を撮ったものですが、例えば、この市民の方々の写真をコンピューターに取り込んでおいて、お祭りでこんなことがあるよとか、夏の七夕の時はこんなことがあるよとか、盛岡にはこんな建物があるよというのを提供していくデータベース機能があるんですよ。それがプレゼンテーションが上手なところは、「いやここを使うと、おまけが付いてきます」とか「ここを使うとここに安く泊めてもらえる旅館があります」とか、そんなのも来るんですよね。結構、明石さん達だってそんなに予算が有り余る映画を撮っていないでしょうから、そこら辺もちょっとフラフラってきちゃうところがあるんですか。

明石:そうですね。対フィルムコミッションとして付き合うのは個人的な関係ですから、顔が見えるフィルムコミッションというのは必然的にロケーションが多くなるという感じがしますよね。それが残念ながらちょっとまだ盛岡ではどの方の顔というのが若干分かりずらいというのがあるので、それがちょっと残念かなと思います。

寺脇:今言ったのは、盛岡だって熱心にやってくれている方はいっぱいいるんだけど、その盛岡での映画ロケの顔という盛りたててみんなでやっていける、この人がとにかく代表として安心できるというスターを、フィルムコミッションのスターを作っていくことが、他のフィルムコミッションとの違いかなということなんですかね。

明石:やはりその顔になるフィルムコミッションのスターを盛岡で輩出して頂ければなと切実に思いますね。

寺脇:私からすると、結構いらっしゃるんですけどね。図々しいと言ってはなんですが、西日本の人達は、特に関西や九州はですね、人が大勢いても自己主張できるけど、やはり東北の方はね・・・

明石:奥ゆかしいですよね。

寺脇:人並みを押し分けても「うちへ、うちへ」とはおっしゃらないかも知れないですよね。そういう違いがある。それでやっぱり西方面がなんとなくいいってことなんですか。

明石:そうですね。いい意味での厚かましさがあるので、この人達に任せておけば大丈夫という安心感をもらえるような気がしますよね。

寺脇:東京の方は誠実だからね、九州だったら「ワシに任せたら何でもできる」とホラを吹く人がいますからね。そう言われるとちょっと任せようかなと思ってしまうんですね。じゃぜひ今度。で今度の作品はラストシーンが盛岡。これは決定でしたよね。

明石:そうですね。それは原作があるんですけど、全然必然性がないのにラストシーンが盛岡というのは、やはり人と出会いたくなる街。そういうのがあるんじゃないかなという感じがします。人恋しくなる街。

寺脇:ラストシーンはと思った時、明石さんの頭の中で今まで訪れた日本の街が出てきた時に、これは盛岡だなと。

明石:ええ、それを原作者自身もやはり盛岡って書いているんですよね。

寺脇:元々の原作もラストは盛岡なんですね。

明石:はい。それがなんとなく読んでいて、納得できるという感じはあります。

寺脇:フィルムコミッションの図々しさで取って行かれるところもあるけれども、でもやはりその街の佇まいまではいくら図々しいフィルムコミッションの人がいたって変えられるわけじゃないから、盛岡の魅力というものをアピールするというのは一つ大きな要素だと思いますが、大友さんの場合はご自身が盛岡出身だと、やはり岩手県でやるのは何となくやり易いというのはありますか。

大友:一つ言うと先ほども言ったようにノウハウがすごくあるということですかね。例えば、逆にですね、今回長崎でロケをしました。長崎は観光地ですが、意外とロケ慣れしていないというのが実はあって大変だったですね。例えばグラバー園って観光名所ですけど、あそこは『龍馬伝』では欠かせないので、撮影させて頂くということだったんだけれども、撮影の期間も修学旅行生がゾクゾク来ると。じゃあ閉園後、開園までしか使えないとなると、朝は8時に撮り終えなければならない。夜は18時からしか撮れないとなると、全然成立しないわけですね。それでどうやって撮ろうかと地元の方と話して、観光客の皆さんを流すルートを別ルートを作ったんですよね。グラバー園も見ることができるんですが、市の方達がきちんと対応して頂いて作ったんですよ。逆にそれが、今までノウハウがないものですから初めは「観光地でこの時季無理だよ」という、言い方は悪いんですがお役所的な対応で難しかったんですね。そして詰めて、こちらで要求するものは何かというような事を具体的に一つ一つ詰めてやっていって、これはどうしても必要だとなって、「どうぞ」となった時には、また、ものすごい逆の方にぶんと触れて、「おやり下さい」と。
グラバー園に行った方はお分かりかと思うんですが、とても綺麗な植栽がありまして、長崎は当時そんな綺麗な花なんてありませんから、そこの花壇全部を植え替えさせて頂いて、南の緑の観葉植物を入れ粗野な植栽にしたんですね。イギリス人のお庭なので造園の形としてはすごく美しいのですが、綺麗になってない荒っぽい形に庭を作り変えるところまでやらせて頂いたんです。最終的にはやはり対応して頂く方の柔軟性というのが、すごくポイントが高いと思いますね。 だから逆に西側なんかで、僕、盛岡の人間なんで西側の人達の強引さには時々、ひゃ〜ってなっちゃうんですけど。バスで連れて行かれて、こっちの言った方と全然違うところを引き摺り回されたということがよくあるんですよ。「絶対、ここでロケできないだろう」という所に連れて行かれて時間が経って困るんですが、向こうはよかれと思って、「いい物件があるんですよ」「買って下さいよ」とバナナの叩き売りみたいな感じで非常に上手なんですよね、向こうの方は。だた、僕らが例えば水沢江刺とか遠野でロケさせて頂く時に、売り込みは下手だけどいざ行ってみると物凄く誠実に対応して頂け、そうは言っても柔軟にやらせていただけるんですよね。がんばってくださるんですよ。
例えば、もう一つ言わせて頂くと、先ほど曲り家の話が出ましたが、高知と岩手で曲り家というか民家の形が全然違うんですね。四国の建物は武家屋敷も含めて気候が暑いですから、風通しを良くするために曲り家じゃない、曲っていない。風が抜けるようになっている民家なんですけど、遠野のふるさと村ですとみんな曲り家ですから、こちら寒いですから風が抜けないように通り道にならないように知恵があってそうなっていると思うんですが、そこでロケさせて頂く時に、岩手の曲り家だから土佐というふうに設定して作るのはちょっと史実上も問題だと、そういうことを言ってくる方も時々いるんですよ。「高知のものとして使わないでくれ」とかも「岩手の民家としてアピールしたい」ということだと思うんですが、なかなかそこは逆の意味で融通が利かないというのもあったりするんですよね。ただその辺はノウハウと経験が蓄積されてくると受け入れ側の柔軟性というのは、すごく鍛えられてきてそこは有難いんですよね。そこをどんどんアピールして欲しいなという気はしますね。

寺脇:今一つ言われたのはね、近衛さんからも紹介があった遠野の市役所の人、つまりお役所の人がやってくれるというのと、長崎の場合はちょっとお役所の人がそうじゃなかった・・・

大友:いや、長崎の人もよくやってくれました。

寺脇:グラバー園の話が出ましたが、そういう所でロケする時に、「観光客が楽しみに来ているので、観光客が来る前に終らせて下さい」と言うじゃないですか。しかし、現実にそうやって両立させてやった時にどうです?来た方も「グラバー園が見られた」+「『龍馬伝』」の撮影が見られた」って喜ぶでしょう?

大友:そこは喜びますよ。僕から提案したんですが、せっかくですから、ここまで入れば撮影も見て頂けるので、こちら側としても宣伝にもなるし、是非そういう形でやりましょうよという発想の転換を投げた瞬間に変っていきますよね。「ありがとう。今日は人出が凄くて」と言われ、「只今、『龍馬伝』ロケ中」という立て札を僕らに断りもなく出したりするわけですよね。

寺脇:お互いにメリットがあるんですよね。お互いに知恵を出し合ってね。ロケの現場は人が集まりますよね。NHKなんて何にもないのに人が集まるじゃないですか。観光地でもないのに集まるのは、 ドラマのロケの現場を見たり、スタジオパークに出入りする芸能人を見るとか、ほとんどそういうので人が集まっていますよね。それと同様に、観光を上手く組み合わせればロケが地元の観光の邪魔をするという思い込みからは外れていくかも知れない。逆に、ロケがあることで相乗効果を持って地元にとっても「たくさんの人が来てくれた」「喜んでもらえたな」というのがあるのかも知れません。
 ロケとはという話をしてきて、近衛さん、そうは言いながらテレビもそうだと思いますが、昔はあんまり地方でロケをせずにテレビドラマはスタジオで作り、映画は撮影所のセットで作っていたわけですよね。でも今、色んな事情もあって良い意味でも悪い意味でも現場で作ろうという、撮影所が昔のように活動できなくなったから地方でやろうというのもある、あるいは本物を撮ろうと現場で撮る場合もあるわけですが、近衛さんの最新作の吉田松陰の『獄に咲く花』、あれは盛岡ではもう公開されているんですよね。

近衛:はい。

寺脇:近衛さんがおいでになるのにどうしてこの映画を上映しないんですかって聞いたら、「もう盛岡では公開済みなんですよ」という。ご覧になった方もいっぱいいると思いますけども、あれはどちらかというと昔の作り方、撮影所の素晴らしいセットを組んでやっていくというやり方ですよね。

近衛:そうですね。京都の松竹撮影所でほとんどを撮影しました。吉田松陰の話ということで舞台が山口県の萩の野山獄という牢獄だったんですが、クランクインは萩でしました。

寺脇:それはやはり気持ちが変りますか。これから吉田松陰の話をやるという時に、萩でクランクインするのと松竹京都撮影所で「おはようございます」と言って「ハイ、スタート」と撮影が始まるのとでは・・・

近衛:そうですね、野山獄というのは現在はなくなっているんですが、石碑があって、そこに立つとまた異様な感じがするんですよね。処刑所ですから。ここに実際松陰がいて私が演じさせて頂いた高須久という女囚人もここにいたということをやっぱりその土地の空気を感じると違うと思います。

寺脇:あれ石原郷監督もやっぱりそういうのもあってクランクインもここでというのがあったんでしょうかね。皆がその気持ちになれるという。

近衛:そうですね。あとやはり吉田松陰の映画ということで、山口県で吉田松陰を呼び捨てにすると袋叩きに遭うんですね。松陰先生と言わなくちゃいけないんですが、やはりその位みなさんの思いが強い映画だったので地元の方も凄く協力して下さって、やっぱりクランクインはたくさんの方に観て頂きました。

寺脇:東北地方で長州というとちょっと引かれところがあるのはよく承知しているんですけど、でも本当に山口県では吉田松陰はそうだし、未だに「吉田松陰のうた」ってみんな歌いますよね。山口県の人と一緒にカラオケに行くと「吉田松陰のうたを歌います」と言って歌いますよね。山口県のカラオケにも入っていますしね。地元の方がどれだけ息を合わせて下さるか。吉田松陰の映画だね、じゃ僕たちも手伝おうねという雰囲気が出てきちゃうんですよね。

近衛:ほんとに、そうですね。

寺脇:それと、あれ確かほとんどが牢屋の中ですから、屋内のシーンなんだけど、屋根に登って外を見るところがありますよね。萩の海を。あそこは萩で撮ったんですか?

近衛:いえ、あれも撮影所の低い屋根に登って、何にもない電線が京都の街が見えているところで撮影しました。

寺脇:じゃ、絵は合成して撮ったんですか。

近衛:あれはそうです。

寺脇:あの映画の中で萩で撮ったというのは、何箇所しかないんですか。

近衛:そうですね。最後の海辺のシーンとお寺を歩いているシーンがあるんですけど、そこだけですね。

寺脇:逆に言うと本当の萩の部分と、これはまあ逆にね、映画の職人さん、セットを作る方々の物凄い腕前ですよね。全然違和感なくここに150年前の萩があるよというふうにセットが出来ちゃってますもんね。

近衛:はい。凄いですよね。

寺脇:本当にあんな牢屋だったんでしょうね。

近衛:どうですかね。でも史実によるとやっぱりああいう牢屋だったみたいです。

寺脇:ご覧になってない方、是非観て頂きたい。素晴らしい映画です。『龍馬伝』もいいですけど、それとはまた違う、竜馬伝がどちらかというと明るいあの時代の陽の話だけど、吉田松陰の場合は陰というか、本人はそうじゃなかったと思うんですが、話としてはね。

近衛:悲しい恋の物語です。

寺脇:ぜひご覧下さい。そういうことで、ロケの話を随分してきて、今までの話でもいくつか出て来ていますけど、まずは盛岡の話を聞き、そして他のところの話をお聞きした中で、さっき明石さんからも出た盛岡で映画のロケというのが『オボエテイル』以来どうもやっていないぞと。テレビでは遠野とかでやって頂いている中で、ズバリこれから盛岡でもっと映画を作るということについて、今までもいくつかお話の中に出てきていましたが、それに加えて「こんなことをやったらもっと来るんじゃないの」というアドバイスがそれぞれのお立場からあると思うので明石さんどうですか。

明石:今度、函館が市民中心で作った映画『海炭市叙景』というのがあって、寺脇さんご覧になりました?

寺脇:まだ私観てないんですけど。函館映画祭にも毎年行っているので、去年の映画祭の時に作るぞと市民の熱気を感じてきました。

明石:僕もまだ拝見してないですけども、一説によると市民で1200万円の募金を集めてそれで多分色んなスポンサーも関わったと思うんですけど、その映画を作ったんですね。盛岡出身の実家がこちらにあると聞いているんでが、木村紅美さんって若手の女性の作家がいまして、木村さんの小説で『イギリス海岸』という小説があるんですけども、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、これなんかを市民が、市民の手で作ればすごくいい話になるんじゃないかという気がするんですよね。『海炭市叙景』はどちらかというと錆びれた炭鉱の町の話というモチーフがあるようですけども、「イギリス海岸」に関しては、二人の姉妹の話でその二人を巡る色んな物語が、例えばイギリス海岸だとか、福田パンだとか、光原社だとか、いろんな盛岡のモチーフが舞台になっていますので、それこそ近衛さんに脚本を書いて頂いて大友さんが演出すると盛岡産の映画になるんじゃないかと、これを皆さん立ち上がってですね、なんとかやっていけば、東京から一生懸命「いらっしゃい、いらっしゃい」とやらなくても盛岡の市民の手で映画を作ったということで元気が出るんじゃないかなって、ずっと考えているんですけど。

寺脇:今の大事なことです。フィルムコミッションが映画作るのを待って、みんな来て下さいよというのもいんだけど、ここから発信して作っていこうということもあっていいんじゃないか。『海炭市叙景』というのは函館じゃないと撮れない話で函館の人じゃないと分らない部分もあるんですよね。函館港に有名なクレーンがあって、昔函館が造船をしていた時に使っていたクレーンがある。そのクレーンをどうしても映画に映したいというので、そんなの外の人には分らないんだけど、そのクレーンが去年の夏に取り壊される事が決まったんで、この『海炭市叙景』の制作の話は本決まりになっていないんだけど、どうしても映しておこうということになって、クレーンのところだけ善行無視して色々な角度から撮影して、それを映画に使ったというのは、地元だからできること、この建物が無くならないうちにやれること。ところで、イギリス海岸というのは、宮澤賢治が作ったんですよね?

明石:そうです。

寺脇:そういうよその人には云われも分らない、「何でイギリス海岸って言うの?」と。地元の人達はそれを知り、かつ、それが日常生活の中にある。そういうことが根付いて行くと、実は函館というのは『海炭市叙景』も作ったけれども、ロケでも色々使われて、それこそさっきから話ばっかり出ててくしゃみをしていると思いますけど森田芳光さんは、函館に自分の住まいを作ったくらいですよね。

明石:僕も、道連れに土地を買わされましたけど。

寺脇:今度、盛岡で土地買って下さいよ。

明石:(爆笑)

寺脇:東北地方でも今いくつかそういう動きが出てきてますよね。宮城県の気仙沼だったかな?地元のお菓子を作る話とか、あれはクランクインしているじゃなかったかな?地元の人がエキストラで出たよという話を聞いたりしたので。あるいは、秋田県でもそういう話が出てるみたいなので、是非、ここ盛岡でもそういうことがある中で、盛岡イコール映画と出てくるんじゃないかという明石さんの提案でした。近衛さん、何かありますか?

近衛:先ほど伺ったことですが、盛岡市内に映画館10館、16スクリーンあるそうなんですね。それでテレビ局は5局もあるんですよね。ちょっと異常な感じがしますよね。こんなに多い街ないですよね。映像文化に対する市民の方達の関心の高さって凄いのかなと思っています。そして私もこうやって盛岡に来て、映画を作ってらっしゃる方とか色んな方とお話すると、皆さんやたら詳しくて本当に面白いんですよね。そういう意味でも受け入れ体制がいいところはいいと先ほど監督もおっしゃって、本当にそうだと思うんですけれども、やっぱり岩手だったら撮り易いし、岩手で作ると面白いし、というイメージ作りができたらいんじゃないかなと思いました。

寺脇:それはいい意見ですよね。先ほどもらった「ぐらり盛岡キネマップ」。ここ盛岡にある映画館全部出てて、尚且つその歴史も書いてある。私が盛岡の人にこういうことを言ってもしょうがないけれども、僕らからするとマップ代わりになり、映画が終った後「ここに飲みに行け」と書いてありましてね。明石さん、日活の酒場があるじゃないですか。ここ。今日行きましょうね、後で。そういうふうに映画が市民生活とつながっている。近衛さん、すごくいいところに目を付けてくれたと思うんですけど、これだけの映画館があるということ。まず量がありますね。それから先ほども申し上げたように化『獄に咲く花』だって全国でそんなに上映してないですよね。だけど盛岡ではもう上映している。実はね明日上映する『能登の花嫁』という映画、映画祭の人から推薦がありませんかと言われ、「これは上映してないだろう」「これも上映してないだろう」と推薦すると、「それは上映しました」「これも上映しました」と言われ、私の常識からいくとこの作品は地方では上映してないだろうな、東京の渋谷の単館ロードショウとかね、京都には京都シネマのような名画座みたいなところでしかやってないのかなと思う作品。『アバター』を5館で上映していますというのとは、ここ盛岡は違うんですよね。さりげない映画もみんな観て下さる。それが成り立つ映画文化。観客の力。ロケというと作る人の話ばっかりだと思うけれども、そこにいる人達は映画観てないの。私らフィルムコミッションにも言っているんですよ、ロケ誘致もいいけど、そこの町の人達が映画も観ないような町にはだんだん来なくなるよ。映画に出て映画に来てもらってそれで観光が盛んになるのは嬉しい、あるいはエキストラで出演できて嬉しいかも知れないけど、でも観ていません。これはないよね。盛岡の人は映画を観ていますよ。しかも地方では観られない映画もちゃんと観ていますよ。この映画水準の高さという、映画文化の高さというのをセールスポイントにて「こういう街で映画を撮りませんか」とお誘いをするというのはとてもいいですよね。
 それから近衛さん、脚本家でよくご存知だと思うけれど、私がフィルムコミッションで言っているのは、ロケハンという話を明石さんにしてもらった、大友さんにも。シナリオハンティングってありますよね。シナリオ作家がシナリオを書く時にどこを舞台にしようかと思ってロケに行く。その時にシナリオ作家を招くって手もあるよねっていう話。

近衛:ありますね。にやけちゃいますけど(笑)。

寺脇:『オボエテイル』もそうだけど、岩手には有名な作家がたくさんいますよね。小説はそこで生まれているわけですよ。だけど、シナリオ作家もここに住まなくてもいいから、みなさん来て、それこそイギリス海岸を見れば、ここでこんな登場人物を立たせて、ここでこんなセリフを言わせたいなと、セリフはやはり映画の命だからね。近衛さんもセリフ考える時に、このセリフどこで入れるかというのは無関係じゃないですよね。

近衛:そうですね。もちろん。

寺脇:全国のフィルムコミッションで申し合わせているのも、監督が来たらみんな大歓迎って言うんですけど、シナリオ作家が来た時も大歓迎しようよ、としていますので、近衛さん、シナリオ仲間のみなさんに言って下さい。

近衛:はい。分りました。

寺脇:大友さん、地元の出身だから提案しにくい部分もあると思いますけど、逆にだからこそ「こうやろうよ」と思う部分があったらお聞かせ下さいますか。

大友:岡本喜八監督の特集を今回やっていますよね。僕大好きなんです。それで奥様の岡本みね子さんがプロデュースをされていて、本当に大好きな監督で、『龍馬伝』をやる時にもちろん、殺陣、黒沢さんも凄いですけど、岡本喜八監督の時代劇の殺陣って凄いんですよね。全然違った面白さがあって。それをチームの演出メンバーに観てもらったんですね。
今回、もりおか映画祭で岡本喜八監督特集をしていて渋いなと思って、演出もそうですけど、知識とか歴史とか、例えば時代劇ってどういうふうに成立してきのかということも含めて、色んな作品、黒沢さんのような描き方もあれば、岡本さんみたいな時代劇の殺陣の仕方のアピールもある、いろんな引き出しが増えれば増える程、強い演出ができるような気がします。
どういう情報があるか、情報の厚みがロケする時にすごく大事なんです。演出の厚みを増やすということだけじゃなくて、ロケ地でもぽろっと一週間、撮影のためだけに行って過ごすよりも、その土地の風土を知り土地の名物を食べ、いろんな人達に会って話を聞いたりした方が、厚みのあるものが、なんとなくちゃんといろんなことが消化されていってできるような気がするんです。
例えば、福山龍馬も土佐に行ったら物凄く良い顔になってきたんですよね。やっぱり土佐の桂浜に立った瞬間になんとなく頬が上がってくる。香川弥太郎もそうなんです。やはり土地土地に立つ事で見えてくることがある。そのためには逆に情報をね、僕、今、イギリス海岸という話を聞いて、うわ〜とか思ったりするんです。だから去年も言ったかと思うんですけど、地元の方からどんどん情報を発信する量を投げる矢が増えれば増える程、引っかかる確率も高くなると思うんです。ロケ地としてのアピールということだけではなく、ロケ地としてと言うよりも、岩手、盛岡に関わる情報というのをどうやって全国区的名なPRをしていって、できるだけ深く広く知ってもらう。「あそこ行ってみたいね」というのがあれば、何かが起きると思うんですよね。僕はじゃじゃ麺は友達に普及していますけど。そこから切り込んでいますけど、やはりどうやって地元の文化を知ってもらい、地元のものを食べてもらい、それで来てもらう。でそこに立った時に何かが、人は理屈で生きているものじゃないですから、良い感情が湧き上がれば、そこから何か豊かなものができてきて、何か作りたいという気持ちになって、ここにもう一回来て何か作りたい。そのためには仕事を作ろうとなって必死になったりする場合もあるので、やはり何とか情報をどんどん発信して頂きたいなと思います。

寺脇:つまりあれですね。ロケの情報というのは当然フィルムコミッションで流しているわけですけどもそれ以外に、その土地の例えばじゃじゃ麺もそうですけど、食べ物、物産、色んなものを総合的にPRしていくと、温泉もこんな温泉があるよというようなことを色んな情報を発信する。ロケーションの情報だけじゃないということですよね。

大友:その通りです。それと先ほど寺脇さんがおっしゃられたような愛情というのをすごく感じたんですね、昨日、岡本さんと話をしていて。もりおか映画際は岡本さんの作品を選んで、当たり前のことだと思うんですけど、監督本人が亡くなられた後も、こうやってちゃんと気にかけてくれて上映してくれてということについて感謝されているんですよね。それって凄く羨ましいなと同じ作り手からすると思うんですよね。亡くなられた後もこうやってどこかの街で愛されて、しかもちゃんと愛情深く取り扱われてもらって、感激されてたんですね。そういう映画が好きだとか知識が、先ほどもおっしゃられたような、知識があるというのもそうだと思うんですけど、そういう愛情も含めて映画を愛する岩手、盛岡ということをどんどんアピールして行ったらいんじゃないかなって思います。

寺脇:映画祭というのは、その場なんですよね。岡本みね子さんって、岡本喜八夫人であると同時に大プロデューサーですから、今度プロデューサーとして映画を作る時に「これは盛岡よね」と言ってもらえるかも知れない。それはやはりこの映画祭がそういう形でね、大友さんが先ほどおっしゃったのを言うと心のある映画祭だということをアピールしていけば、あの心に触れたいから今度自分が映画を作る時に「原作は鹿児島の話だけど盛岡で撮ろう」というような話が出てくることもあるでしょうということですよね。  今、大友さんが岡本ファンだというのを聞いて、そうか『龍馬伝』は岡本喜八の時代劇が少し入っているんだと。今おっしゃったように岡本喜八さんはいろいろ現代劇で代表作が多いけれども、時代劇でも今回上映した「EAST MEETS WEST」なんかは、西部劇VSチャンバラみたいなことをやっているし、普通の監督だったら尻込みするような用心棒と座頭市が戦うというね、座頭市と用心棒、片や黒沢明、三船敏郎、こちらは勝新太郎の座頭市、これをやろうなんていうイノベーションの、ただの時代劇をやっていくのではなく新しいものを作っていこうという創造性。これがそうか、『龍馬伝』のスピリットに入っているんですね。

大友:やっぱり、「ジャズ大名」なんて是非観て頂きたい。やっぱり、あの時代、昨日奥様から伺ったらあの東宝さんの中でかなり戦ってたと、「いつも孤独でしたようちのダンナは」というような事を聞くと、孤独の中で戦いながら「ジャズ大名」やったんだみたいな、「ジャズ大名」だけではないですけど、やっぱり凄いですよね、創意工夫と同時に戦いがある。そういうことを聞いて一つ一つ知っていくと愛情がただの好きというよりも応援してあげたいという気持ちにも変わってくる。だからそういうことをどんどん知る場として良いな〜と思いましたよね。ほんと良かった。昨日嬉しかった。

寺脇:お三方からほんとうに良いヒントがでましたよね。ちょっとやってみようかなってみなさん思っていただけたんじゃないかと思うんですけれども、さて、今までは日本の中の話と進めてまいりましたけれども、実は映画を発信するということはこれは世界に発信するという要素もあるわけで、岩手、盛岡を知ってもらおうというのは日本国内だけの話ではないのかも知れません。というので映像も用意されているようですが、近衛さんイタリアへ遠野との絡みの中で行かれたとか。

近衛:はい。

寺脇:ちょっとその話を聞かせて頂きたい。

近衛:昨年の12月にイタリアのサレルノ市というところに行ってきました。なぜサレルノ市に行ったかと申しますと、サレルノ市は遠野市と姉妹都市なんですね。サレルノ市で毎年、すごく盛大な映画祭が行われているんですが、私はテレビ局の企画で行ったんですけれど、映画祭の場で今年100周年を迎えた遠野物語をイタリア語で朗読するということ。それから、『アマルフィ』というフジテレビが制作した映画を招待作品として上映して下さったんですね。そういうことで行ってきました。もの凄い盛り上がっていた映画祭でした。

寺脇:このもりおか映画祭みたいな映画祭が国際映画祭かも知れないけど、同じように市民が作ってる映画祭ということなんですね。

近衛:そうなんです。この映画祭期間中の一週間は、街じゅうが映画一色になるんじゃないかと思うくらい盛り上がっていましたね。街じゅう色んな所で映画を上映していました。サレルノ市と遠野市がどうして姉妹都市になったかというと、そのきっかけがまた映画なんですね。28年前に村野鐵太郎監督が作られた『遠野物語』という映画が、昨日上映していて私も拝見したんですけども、この素晴らしい映画がサレルノ映画祭でグランプリを受賞したんですね、28年前に。歴史のある映画祭なんですね。カンヌ映画祭よりも古い歴史のある映画祭なんですが、その当時、サレルノ市の方達が「なんて遠野は美しい街なんだろう」と凄く感動したそうなんです。そこで何とか姉妹都市交流を結べないかと申し入れをして下さったそうです。街の規模としては、サレルノ市は本当に大きい街ですので、盛岡市と姉妹都市提携をした方が相応しいんじゃないかと思う程の都市の規模なんですけど、遠野市と『遠野物語』という映画がきっかけで姉妹都市になりました。

寺脇:それは『遠野物語』という映画があったから、そしてそれにはもちろん原作の『遠野物語』があったから、だからなんですね。遠野が経済的に優れているとか世界的に有名だということじゃなく。

近衛:はい。本当に映画の力だなあと思います。今でもサレルノの方とお話すると「あの映画は素晴らしかった」「遠野は行った事がないけれど行ってみたい」という人がたくさんいました。

寺脇:映画にはそういう力があるんですね。そこに行ったことがない人にも、そこが素晴らしいというふうに思ってもらえる。『オボエテイル』もこれから世界に出て行くと、映画を観て「盛岡っていいなあ」と思う人が出てくれるとか・・・

明石:だと有難いですけど。

寺脇:いやいやそういう力を持っているし、その『遠野物語』を村野さんがお作りになった時だって、世界にPRするために作ったつもりじゃないと思いますよ。ほんとにこの街の良さを描こうと思ってよもやイタリアの人たちがそう思うなんて想像もせず、作った結果がそうなったということですよね。

近衛:そうですよね。

寺脇:もちろんそれは映画に力がこもってないとそういうことはできませんよね。

近衛:サレルノに行っても映画を中心に人がものすごく集まっている感じがあって、映画ってほんとうに力があるんだなって私自身は再認識しました。またこうやって盛岡の映画祭に呼んで頂いたりしても、やはりこれもお祭りなので、本当に楽しいですよね。色んな方とお話したり、この後の飲み会も楽しみにしていますけど。ほんと、楽しいことがたくさんあって、映画を中心に人が集まる。映画って本当に力があるというのは感じます。

寺脇:それは先ほど近衛さんがおっしゃってくれた、映画館のある街でかつそれが映画ストリートというね、こんなところそんなにないですから、あそこをとにかく一週間解放区みたいにして映画を愛している人は何でもOKという感じにね、やれるといいですよね。何でもOKというのはあれですけども、とにかくこの一週間は映画を、一番最高の価値だと思って生きようみたいなことが、もちろん今はそういうこととして三日間やっているわけですが、これがだんだん市民の中に広がってきてもっともっとやろうというようなことになっていくと、サレルノと言っても遠野よりは大きいかも知れないけど、ローマとかミラノ程の大きさではないわけですから。

近衛:もちろん、そこまでではないですが、想像したよりも大きな都市でした。大きなビルが立ち並ぶような大都会というイメージでした。

寺脇:やっぱりそこの人たちが28年前に観た映画の事をずっと記憶しているということですよね。

近衛:そうですよね。今朝、上映を観させて頂いて本当に映像が綺麗なんですよ。この映像がイタリアの人たちの脳裏にいつまでも焼き付いて離れないというのは凄く分かるなというふうに思いました。

寺脇:これは大友さんも明石さんもそうでしょうけど、映像作りというのは手軽に作ろうと思えばいくらでも手軽に作れたり、この頃はコンピューターグラッフィクというのがあって、その場に行かなくても街を作れたりしますよね。それをお二人は人非人になって、70歳のお爺ちゃんを誑かせ、コンピューターグラッフィクで鎧を着せてもいんじゃないですか。それをやっぱり、村野さんも鬼と言われていて、今は穏やかにされているけれども、若い頃は、村野演出の厳しさというか、本当に俳優さんでも逃げ出したくなる監督だっていう話があるくらい、その厳しさの中で『遠野物語』の絵ができ演技ができということじゃないでしょうか。ですから明石さん、『遠野物語』今日はご覧になりましたか。

明石:いいえ。今日昼過ぎに来たものですから。

寺脇:別に『遠野物語』に限らず近衛さんがおっしゃったような映画の力、映画なんかただの娯楽だろうと言っている人から見れば、「ほんとかよ」って言われますよね。「『遠野物語』そんなに有名な映画じゃないじゃん」「イタリアの映画祭で観た現地の人が、30年近く思っている?嘘?」という人もいるかも知れない。やっぱり映画にはそういう力があるんだということを信じているからこそ厳しい条件の中で映画作りをなさっていると思いますが、いかかでしょうか。

明石:30年サレルノで風化しないで皆さんの心に残るというのはすごく羨ましいですよね。だから常に大友さんも同じだと思うんですが、1年2年3年で風化するような映画じゃなくて、やはり10年20年風化しないで人の心に残るような映画を作りたいなと思っているんですけど、なかなか現実は厳しいかなと思っています。

寺脇:むしろ日本の国内ではあまりそうは思われなくても、外国の人が観ると凄いなと、イタリアの人が観て遠野を感じるみたいに。大友さんの演出ではないですよね「どんど晴れ」というのは。

大友:僕ではないです。

寺脇:その「どんど晴れ」というのは、遠野でロケというか舞台のドラマなんですが、これは台湾で放映されているとかね。「おしん」がアジアじゅうで観られたとかね。そんなことがありますよね。それは時間というのもあるけど、空間を越えて民族を越えて、共感するというものが映画やドラマにはありますよね。

大友:僕はアメリカで勉強した時にですね。脚本の勉強の授業で「理想な脚本は何だ」と最初に教わった時に、マーリック・マーティンというスコセッシの共同脚本家『ミーンストリート』の。彼が言ったのは「無声映画だ」って言ったんですよね。やはり台詞はハリウッドだと字幕が読めない人が増えているので日本人も全部、英語でしゃべっちゃうみたいなことが起きてますけど『ラストサムライ』でも何でサムライが英語しゃべるんだという疑問があったりするんですが、やっぱり向こうだと字が読むのが面倒くさくて、習慣として耳からにしないとお客さんが入らないからなんですよね。それに比べると映像は、越えて行って分かってもらえる。説明しなくても分かってもらえる。ということをその先生は言ったかと思うんですけど、面白い発見でしたね。無声映画か、確かにチャップリンの映画はみんな腹を抱えて笑って、泣き笑いが全部分かるし、バスターキートンのアクションは、物凄い身体を張ったあのアクションはそれを観ているだけで楽しいしというね、映画の武器は、それを大画面でテレビを僕やっているんですが、一回『ハゲタカ』を映画でやった時にこれなんだな映画と思ったのは、同じ空間で同じ人数の人が同じものを観て、いろんな感想を持つんだな。同じ場所でみんなが観る。暗闇で集中して観て頂ける。テレビはあっと言う間にチャンネル変えられちゃう。ぷっぷ、ぷっぷ変えられちゃうんですね。みなさん最後まで観る気で1800円というお金を払って映画館に来るので最初から最後まで観る気で観てもらえる。これ夢のようだったんですね。テレビは最後まで観てもらうってサービスしまくるんですよね。一瞬でも嫌にさせちゃったらチャンネルを変えられるのでサービスしまくるんです。テレビの海外のコンクールなんかですと、最初の三分の一位しか観てくれないんですよ。つまりテレビ的な審査だとすごく思うんですけど、最初の三分の一観て、それ以上観る価値があるものに絞って振り分けをしていくんですね。それって向こうは三幕構成で脚本を作りますから、最初の一幕でお客さんを引き付けられなかったら、テレビ作品としてはまず失格でしょうということで振り分けられてしまうんです。でも映画は最後まで作品として観て評価してくれる。だからテレビ作品はどちらかというと商品に近いと思うんですけど、映画はまだちゃんと作品として評価して頂けるとこが凄く羨ましいですし、それをきっかけにして色んな人が言葉を交わすことができる。やっぱりいいですよね。

寺脇:外国でもね、観るときはテレビだったら変えられるけど、映画館に入っちゃったらね。例えば中国の人が映画館で日本映画を上映していても、入ってしまったら観なければなりませんからね。

大友:もったいないですからね。

寺脇:そこで日本映画を観てくれると。中国の人がもっとたくさん日本映画を観てくれたり、逆に日本の人も中国の今の姿を描いた映画を観れば、この一カ月くらい随分日本と中国で嫌な思いをしている。でもあれは相手の事をよく分からないから「あいつ等悪いんじゃないか」とか思うんですよね。

大友:ほんとそうですよね。

寺脇:映画を観るとね、この人たちってこうだよ。それこそイタリアの人も『遠野物語』観たら、日本の岩手県のこういう人たちって純朴な気持ちを持っているんだって伝わりますよね。そこが映画の力だっていう。映画が世界を平和にするんじゃないかと、世界を平和にするのは映画だけだと時々言いたくなる。そういう意味ではここ盛岡、岩手で作られた『遠野物語』が本当に良い例ですから世界中のいろんなところで観られて、そういう東北の心、あるいは遠野の心、そういったものをじんわり伝えていってくれると、ミサイルボタンをすぐ押すなんてことにはならなくなるのではないかと思います。 色々話をしてきてついつい時間が少なくなってきましたが、主催者の側からお聞きすると、この席には地元で岩手県内で映像作家を目指している若い人たちが来ているらしいんですよ。今は誰でも映画を作ろうと思えば作れる時代ですよね。ビデオカメラなどを使って映像作品を作ろうと思えば作れる。この映画祭の中でも近衛さんは審査員になられて映像の審査をなさる。岩手で今映画を作ろうとしている若い、若くなくたって全然構わないけれども、映像や映画をやってみようと思っている方に、或いは脚本家になろうと思って勉強している方もいると思うので、何かアドバイスをして頂けないでしょうか。

近衛:とてもアドバイス等さし上げられる立場ではございませんので、ただ私東京生まれ東京育ちと申し上げたんですけども、本当に地方には岩手には東京にないものがあるんですね。それが何かと具体的に言うのは難しいんですけれども、やはり東京は何でも色々な物が集まって色んなものがあって凄く豊かな場所ではあるけれども、ここに来て、ここにしかないものがあるというのは強く感じました。やはりここで物を作って行こうと思っていらっしゃる方がいたら、それはすごい武器だと思うんですね。東京人が逆立ちしても叶わないものをすでに持ってらっしゃるんだろうなと思うので、地方に根差して物を作るってことはすごく価値があることなんじゃないかなって思います。

寺脇:岩手にはね、まだ観るものがいっぱいあると。東京はね、もう何にもないからスカイツリーばかり毎日見ているんですね。ちょっと高くなったとか電気が付いたとかね。ここ岩手にはひょっとして地元の方もまだ気づいていないものがあるかも知れないですよね。

近衛:思いますね。やはり本当にこれからは文化が地方から発信するようになるって思うんですよね。

寺脇:今日は盛岡と遠野話ばかりしましたが、岩手県にはまだまだ色んな地域がありますもんね。明石さんイギリス海岸と言ったらね、大友さん「おっ、そこに来るか」みたいな表情されましたもんね。ありがとうございました。そういう意味で大友さんはこちらに住んでいた頃から映像作りをしていたんですか。

大友:学生の時に遊びでしょうもない8ミリの、しょうもないものを作ったりしたことはありますけど、基本的には仕事に就いてからですね。作り始めのは。

寺脇:こっちでは高校時代ですね。

大友:はい、ちょっと。くだらい物をすみません。口に出すのも汚らわしい物を作っておりました。ちょろっと作ったことはありました。

寺脇:誰か持ってないかな?

大友:同級生がいると思います。抹消したい。

寺脇:じゃ今度同窓会繋がりで来年の映画祭で上映しましょうよ。大友さんの時代は、まだ8ミリの時代だったから誰でもいうわけにはいかない、私はもうちょっと上だから8ミリ作るのに金かかってしょうがない。今はビデオカメラという便利なものがあるから。

大友:例えばユーチューブというのがありますよね。イギリスのスーザン・ボイルさんはあそこで話題になって世界で人気が出た。あとユーチューブが趣味で大好きでよく見るんですけど、あれ面白いんですよね。物凄いギターの上手い可愛い日本の男の子がギターを弾いているだけの映像が世界中から200万件のアクセスがあったりするんですよ。というようなことが起きているので、井坂倖太郎さんも仙台にいながら小説『ゴールデンスランバー』をお書きになり、仙台が舞台で映画にもなっていますし、今東京を舞台にしちゃうとどうしてもコマーシャルの匂いが付いて廻りますよね。だから地方を舞台にしてやるとピュアな物作りができるような気がするんですよね。原点としては。これもまた原点に戻ると愛情だと思うんですけれども、その発表の場というのはしかも昔と違ってユーチューブから何からあるし、デジカメで撮ったものが誰の目に触れる可能性がある、表現する場所があるし、全然場所は関係ないっていう気はしますね。むしろメリットの方があるかも知れない、地方でできれば。

寺脇:なるほどね、ユーチューブというのはみなさんご存知かと思いますが、ネットの上で映像を公開できる。昔は8ミリじゃないと映画が撮れなかったから、だから大林宣彦さんとか大森一樹とかお医者の息子じゃないとなかなか映画が撮れない、若者が撮るのは難しいと言っていました。ところが今はビデオになってきた。そしてさらにビデオになったものをコンピューターで編集してユーチューブに流せるというところまできている。だから企画が成立するとかしないとか、関係なしに面白い映像を作ったら勝負できるって場合があるってことですよね

大友:確実にあるんですよね。そこから実際に出てきている方もいますよね。ほんと小さい作品から例えばロバート・ロドリゲスとか。最初に作った映画「エル・パパラッチ」(注4:正しくは「エル・マリアッチ」)、あれ80万円の映画ですよね。それをたまたまタランティーノが観て、アメリカに引っ張られることってどこにでもあると思いますよね。盛岡でも全然できるし、どこでもできますね、今や。

寺脇:なるほどね、それはもう場としあるし、私まだ観ていませんが、今度沖縄で中学生の監督がデビューする。あれも沖縄フィルムコミッションがお世話して、何か聞いていませんか?

明石:プロデュ―サーが仙道ですから。

寺脇:可能性というのが、映像作家になるルートが昔は単線しかなかった。それがもうむしろ線路もなくなる状態ですかね。

大友:それとあと、東京というのは昔から田舎者の集まりであると言いますけれど、ほんと盛岡だと宮沢賢治を初め歴史上の偉人がいっぱいいますもんね。白州次郎を取材していると米内光政とかあの当時海軍で物凄い先見の明を持ってやった方とかいるんで、発掘の仕方って東京にいるとなかなかポイントが絞れなくてあちこち行っちゃうんですけど、足場をどっか一歩譲ると見えてくるというのがいっぱいありますよね。だからそういう意味で言うと盛岡ってターゲットを定めてくると、そこで見えてくるものって逆にいっぱいあるでしょし、そこを最初に決めるのが、今は情報がいっぱいあるので一番難しいんですよね。だから「イギリス海岸か、新しい」と思っちゃったんですよね、さっき。

寺脇:やはりそういうね、立っているところが盛岡だと思った瞬間、宮沢賢治みたいに有名ではないけど、凄い人がいたみたいなことが発見できていくわけですよね。今大友さん遠慮がちにおっしゃったけど、私、河合準十先生の下に仕えていたんで、いつもご一緒していたんだけど、いつも言ってましたよ「東京は田舎者の集まりやな」って。昔から東京にいる人たちはいいんだけど、田舎から来た人たちが国会議事堂とかああいうところにいたりして、ビル建てたりして何とかヒルズということになっているのがいかんということだったんで、僕は否定しているわけじゃないですよ。自分の足元を深く見つめられるかどうかだと思うんですよね。
 明石さんは今のようにユーチューブもない中でやって、色々なプロセスを経て今活躍されてるわけですが、明石さんご出身はどちらですか。東京ではないですよね。

明石:僕、四国です。

寺脇:四国にいらっしゃる時から何かお作りなったりしていたんですか。

明石:あの確かに、さっき大友さんがおっしゃたように文化祭でやっぱり8ミリを撮りました。でもやはり志したのは大学の時です。ユーチューブで話題になった「ねこ鍋」って確かあれ岩手の女の子でしたよね。あれは凄かったですよね。先ほど近衛さんがおっしゃったようなことなんですけど、地に足の着いた盛岡の空気感というのを見つめ直して、それを映像化してもらえればいんじゃないかなって思いますよね。それでユーチューブみたいなビデオクリップみたいな映像もあるとは思うんですけど、古い映画人間としては脚本からやっぱり入って欲しい。というのが一番ですよね。色んな映画を観て色んな脚本を読んで、とにかく地に足の着いた空気感をどうやって表現するかを色々試行錯誤して頂きたい。それがやはり地方に住んでいる人間の醍醐味じゃないかなと逆に思うんですよね。撮影、編集に関しては、色んな機器の変化もありますから低コストでできると思うんですけど、やっぱりシナリオ作りというのはテクニカルなものじゃなくて、汗をかかないと良いシナリオって生まれて来ないので、その辺をしっかり志してやって頂きたい。そうすると自ずから、盛岡の良さと引き立たせられるような自分自身を見つめ直させるような作品ができてくるんじゃないかと思います。

寺脇:脚本が大事だというのは本当にそうだし、脚本は台詞だけじゃなしに、さっき大友さんが言われたのは台詞がなくなって成立つ脚本。脚本って台詞がなくても書く仕事なわけですから、そういうものを含めて考えていくと先輩のプロから良いアドバイスをもらえたんじゃないかと思います。会場からの質疑の時間となりましたので、マイクを司会の方にお渡ししたいと思います。



司会:寺脇さん、ゲストの皆様、貴重なお話ありがとうございました。それではここで質疑応答のお時間に入らせて頂きます。何かご質問がある方は手を挙げて質問なさって下さい。

質問者A:大友さんは『龍馬伝』の演出をなさっていますが、大河ドラマの中では珍しく斬新な演出をしているように思うのですが、それはどういった意図であのような演出をしているのですか。

大友:龍馬って時代を変えた人なので、やっぱりやっているうちに龍馬をやるならちょっと、こちら側のスタンスとしてやらなきゃってなってくるんですよね。下士と上士というシステムがあった世の中を土佐の田舎者たちが大きく動かしたという話なので、土佐ってあの当時外れですからね。岩手の人間が世の中を変えたくらいのインパクトだと思うんですよね。だから龍馬さんをやるときだんだん肝試しみたいなことになってきて、根っこのところで龍馬とぶつかるには、どうしたらいいかということを考えていくと、いつもの大河ドラマでやってはいけないという気がしてきちゃった。それとあの時代の熱気や勢いを出すために、サムライミーティングではない、大河ドラマはいつもサムライミーティングと言われましてあの時代は身分もはっきりしてますから、時代劇の作法ってすごく厳しいんですね。それをちょっと変えるというか、人を動かすとことをやって、それに合わせてカメラを動かす。そして頭も面づれと言いまして剣の練習をしていますから、髪が薄くなってるんですよ、昔の方は。頭の輪郭に近い形でまげがされていて、そういうのを当時の写真を参考に詰めていったらああなったかなという感じです。

質問者B:ゲストの皆様全員、忘れられない映画を教えて下さい。

明石:『燃えよ、ドラゴン』です。

大友:僕も『燃えよ、ドラゴン』です。

近衛:なぜかいまふと頭に浮かんだのが『雨月物語』。今朝の『遠野物語』を引きづっているんだと思います。

質問者C:東京はあちこちでアーカイブ作品が多く上映されていますが、東京と地方の文化的な落差を縮められる方法って寺脇さんの方から何かアイデアがありましたらお聞かせ願えませんでしょうか。

寺脇:映画は今動かせますから、どこでも上映ができますから、そういう活動をどんどん広げて、そこに映画文化が広がっていく。私たちフィルムコミッションもロケ誘致だけではなく、上映活動もやりたいと思っていますので、もし盛岡で映画上映会をやろうという方がいたら一度相談して下さい。 上映運動も映画を支える大きな要素だと思います。

質問者D:今日は面白いお話ありがとうございました。僕は今教育関係の仕事をしているんですけど、子供たちに映画の魅力を伝える何かいい方法があれば伺いたいなと思います。子供にお薦めの映画も教えて下さい。

明石:今あるプロデューサーと組んで、来年の夏に子供達のためのスクリーンミュージックの集いの企画を進めているんですが、音楽から子供たちへ映画の魅力を伝えるというはどうでしょうか。ジブリの作品を集めたりとか。お薦めの映画は、『風の谷のナウシカ』かな。これは是非子供たちに観てもらいたい。

近衛:映画館に行ってみんなで映画を観るというのが子供たちにとって良い経験だと思います。お薦めの映画は、私も『風の谷のナウシカ』すっごく好き。あとは『ニューシネマパラダイス』とか『モダンタイムス』とか、トリュフォーの『アメリカの夜』とか。

大友:僕、無声映画が好きなので、チャップリンやキートンですね。お薦めです。

司会:ありがとうございました。以上をもちまして、もりおか映画祭2010シンポジウム、フィルムとコミットする映画フィールド・盛岡を終了します。ありがとうございました。